在宅看護

2026年01月13日 21:18

陽光の季節、そして暗転:神を呪うほどの非情

1. 執念の再生:杖を捨てた戦士

かつてグランドゴルフで仲間と笑い、風を切り、誰よりも社交的に生きてきた母。その魂に宿る「火」は、病に侵されてもなお、消えるどころか激しく燃え上がっていた。 週三回の訪問看護、週一回の往診。その合間を縫うように、母は自らに過酷なリハビリを課した。

脳梗塞の後遺症など、どこへ消えたのか。 「杖がないんだけど、どこに置いたかしら?」 そう笑って部屋を歩き回る母の姿は、奇跡そのものだった。用意された車椅子は、一度も主(あるじ)を乗せることなく、部屋の隅で無用の長物と化した。 週二、三回のデイケア。お迎えの車が来るのを、少女のようにリュックを背負って待ち構える母の背中には、病魔を撥ね退けるほどの輝きが宿っていた。 「私はまだ、人生を謳歌している」 その背中が、そう語っていた。

2. 忍び寄る影:4リットルの重圧

幸福な時間は、あまりにも短かった。 母が不屈の精神で日常を奪還しようとする一方で、体内の「小細胞肺がん」という怪物は、音もなくその領土を広げていたのだ。 やがて、母の呼吸から自由が奪われていく。 酸素飽和濃度の低下。鼻に装着されたカニューレから、毎分4リットルもの酸素が流し込まれる。それは、母の肺が、自力で生命を維持する力を失いつつあるという、残酷な現実の可視化だった。

あんなに楽しみにしていたデイケアの車は、もう来ない。 世界は、家族と、白衣の看護師と、医師だけの、狭く静かな部屋へと収束していった。

3. 神を否定する夜:腸閉塞の激痛

そして、運命はどこまで母を痛めつければ気が済むのか。 平穏を切り裂いたのは、突然の嘔吐だった。 苦しみに悶える母を抱え、必死の思いで病院へと駆け込む。現像されたレントゲン写真が映し出したのは、さらに過酷な「腸閉塞」という現実だった。

肺だけでは飽き足らず、母の体から栄養を、平穏を、そして最後の尊厳さえも奪おうというのか。 必死に生きようとし、杖を捨て、リハビリに励み、あれほど前を向いて歩いてきた母に、なぜこれほどの苦難を重ねるのか。

「神様は、いないのか。」

真っ暗な診察室の外、私は心の中で、形のない空に向かって絶叫した。 不条理なんて言葉では片付けられない。これは、あまりにも救いのない「運命」という名の暴力だった。

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