母、ガンになる
宣告の日、母の背中と「ステージ3」の衝撃
それは、いつもと変わらないはずの「日常」の延長線上にありました。
母は、真面目な人でした。町が実施する定期健康診断には、一度も欠かさず足を運ぶ。自分の健康を過信せず、慎重に生きてきた母が、胸部X線検査で「異常あり」の判定を受けたとき、私たちはまだ「何かの間違いであってほしい」という淡い期待を捨てきれずにいました。
しかし、近所の総合病院で撮影されたCT画像は、残酷なほど明確に、その影を映し出していました。 医師の口から漏れた**「明らかに異常がある」**という言葉。その重みが、診察室の白い壁に反響し、私たちの平穏を容赦なく引き裂きました。
選択という名の試練
紹介状に並んだのは、名だたる大病院の名前。労災病院、大学病院、そして、がんセンター。 私たちは、迷わず「がんセンター」を選びました。それは、母の命を託すための、家族としての決意表明でもありました。
がんセンターの廊下は、独特の静寂に包まれていました。 造影剤を体に入れ、機械の冷たい音に身を任せる母。繰り返される精密検査の果てに、医師から告げられた病名は、予想を遥かに超える険しいものでした。
「小細胞癌の疑いがあります」
その言葉は、まるで鋭い刃のように胸に突き刺さりました。進行が早く、厄介な相手。 さらに、追い打ちをかけるような事実が判明します。腫瘍がある場所が悪く、確定診断のための生検(細胞採取)すらできないという現実。
「切れば治る」というわずかな希望さえ、**「手術不能」**という宣告によって断たれた瞬間でした。
終わりのない、希望への行軍
医師の口から語られた数字は、「ステージ3」。 それは、決して楽観できるものではない、けれど決して諦めてはいけないという、ギリギリの境界線でした。
「手術は難しい。これからは、放射線治療と抗がん剤で戦っていくことになります」
治療方針が決まったとき、母は何を思ったのでしょうか。 小さくなった母の背中を見つめながら、私は誓いました。この見えない敵との戦いを、独りにはさせないと。
こうして、私たちの「がん」との長い闘いの日々が、幕を開けたのです。